2013年3月22日金曜日
永眠
2013.3月4日 パティ 永眠
少し前の日記にもパティの事をかきましたが、3月4日に永眠しました。
我が家にきて12年程でした。
4日の朝にはもう亡くなってたそうで午後に父からメールがきて知りました。
亡くなる2日前からほとんど食事をとれなくなっていたそうです。
2月はわりと長く実家に帰っていて3月に入る少し前くらいに東京に戻ってたんですが
私が東京に戻った後は体調がよくなったり悪くなったりの繰り返しで
元気のいい時は簡単な散歩ができるくらいには回復してたみたいです。
私は前の日記で老いたのは身体だけで命は老いていない、
と書きましたが現実はそうではありませんでした。
私が認めたくなかっただけかもしれません。
まだまだ全然大丈夫、って何処か無理矢理言い聞かせていたんだと思います。
5日に実家に帰って朝10時に火葬場の人がひきとりにきてくれて、
父と一緒に火葬場でお見送りをしました。
ペットの火葬場ははじめていったのですが小さな所でした。
パティの身体は冷えきっていて、固くなってました。
口元が少しただれて、目が少し開いた状態で固くなってました。
でも、金色の毛だけは生きてる頃みたく柔らかくて綺麗でした。凄く柔らかかった。
骨格もしっかり分かってごつごつしてて。
火葬されるまでずっと撫でていて私の撫でた所は手の温かさがうつって
生きてるみたいにぼんやり温かくなっては
また冷めて、温かくなっての繰り返しでえぐられる思いでした。
火を入れる瞬間に燃え上がった火の匂いで耐えきれなくて
吐きそうになったのが凄く辛かったです。
火葬場の景色と点火するときの火の匂いは忘れられないと思います。
1時間半くらいで綺麗に骨の状態になって、
その姿を見た時に少しだけ肩が軽くなりました。
それまでは本当こんな辛い事があっていいのかって思うくらい辛かったのですが、
骨になった姿をみて少し安心できました。
安心っていうとなんか適切な表現ではないような気がしますが、何故か安心した。
パティの骨はペットの共同墓地へ一緒におさめてもらいました。
綺麗に残った部分の骨は持ち帰ってもいいとの事でいくつかいただいて
家におさめる事にしました。爪や歯の骨が綺麗に残ってました。
今は小さなビンへ入れて保管してあります。
私は骨になった姿を見て、パティの死に対して一呼吸おけたのですが、
母は「こんなになっちゃったんだね…」と小さく呟いていたので
その言葉も少し胸に残っています。肉体が骨になるという事への悲しみ。
私は火葬されるまでパティの身体を撫でて、死という形になったパティに触れていましたが火葬されてしまったら「からっぽ」になると思ってました。
そこにあったけど、なかった。なくなってしまった。
という形になるような気がしていたのですが、火葬されても骨は残るわけで
それがある限りまだ生きている、みたいな錯覚におちいってるのも確かなんです。
ほとんどの骨はお墓におさめちゃったし、
もう健全なパティの身体も鳴き声も戻っては来ないんですが。
ペットを飼っていると当然その子はもう家族の一員みたいなものです。
よその所で育てられていた子を責任もって育てますって事で飼うわけですから。
一緒にいるときはあまり意識したりしませんが、
こうしてみると家族だった事を痛いくらい感じますし、
本当に可愛かったな、と何度でも繰り返します。
この寒さを越えて春になって元気が出てきたらまた散歩に行きたい、
と父が言っていました。私もまた栃木の自然の中を元気に走るパティが見たかったです。
栃木は空気とお水が美味しいし緑豊かなので犬にとっての環境も良かったと思います。
ついこの間まで甲高い声で夜鳴きをしてぐずっていた子犬がもう大人になって
おじいちゃんになってこの世にいないなんていう事は受け止められないし
それがもう12年だなんて月日の重みというものに混乱します。
死というものにしっかりと触れて、死というものがどんなものか。
死の塊をはじめて触りました。
死というものは私が想像していたどんな死の姿でもなくて、
実態はないけれど当然殴りかかってくる乱暴な存在のように思えました。
死という名のハンマーでも殴られた気分です。
頭を何度も殴られてこれでもかってくらい殴られて泣いている暇なんて与えてもらえないくらい残酷な存在のように思えました。
本当に可愛い子だったね、と両親と何度も言い合って。
本当に可愛かったです。
当分ペット関係の事は辛いですが、でも相変わらず動物は好きなままだと思います。
でもたぶん、犬はもう飼えないような気がします。
ありがとう。
パティが我が家にきてくれて本当に幸せでした。
2013.0307
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿